古文書データベース[江戸中期]

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尾州・大垣・幕領の境目の人々の中注意事項


元文元年(1736年)
1.御境目は峯通り、水流れに紛れなし。
2.御境目附近、みだりに道をきりあけないように。
3.御境目近辺で、なぎ畑をしないように。
4.ご法度のまきの皮を盗みはぎとり荷物に似せて運ぶやからが居る。大垣領のものども尾州の御林山を荒さないよう。
板取村長屋治左衛門
同 清左衛門
根尾の市場所源兵衛へ
一柳半兵衛へ

正徳3年から元文元年まで年貢金割引の留め書き

表紙


白谷 三島平左衛門蔵
正徳3年巳の7月より(1713年)
元文元年辰の10月まで(1736年)
夫食定免願の留
正徳3年(1713年)7月夫食願いした節、餓死人の者ども帳面書き出し
右帳面の奥所左の通り

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白谷 三島平左衛門蔵
正徳3年巳の7月より(1713年)
元文元年辰の10月まで(1736年)
右書き上げ申す者のこと
高1斗、2斗ずつの百姓その他多く無高・・・
うゑに及ぶ者人数647人・・・
お留め山になって山かせぎもならず秋作もあてになりません。

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白谷 三島平左衛門蔵
正徳3年巳の7月より(1713年)
元文元年辰の10月まで(1736年)
口上のおぼえ
去年から高持無高の者ども、何とか餓死はしませんが、去年から当2月まで
むぎ、ひえ並におかねども都合285両余私どもの才覚で取替えておりますが・・・

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雲渓院から清泰寺あて嘆願書


上ケ瀬 長屋清左衛門蔵
享保11年(1726年)
おねがいします
杉原雲渓院 美濃市清泰寺へ
私病気のため寺役勤められません。
親類方で静養したい。村の者は納得の上ですのでよろしく・・・

けやきの木の高いこと


安永7年 長屋市蔵文書 50本100両也
おぼえ
1.けやき もとき 50本 代金100両也
内 金20両 手形金 相渡しました
残 金80両 来る11月相渡し申します

1.敷き木 6寸廻し 1本につき 代4匁ずつ
但し 1間2尺以上は もとき並み
2尺以下は 6寸廻し並み

右の通り 相きめました

1778年戌7月
名古屋舟入所
藤井伝兵衛
江戸こおじ町山元町
近藤市郎右衛門

板取村庄屋衆中