古文書データベース[江戸中期]

古文書データベース[江戸中期]

村送り状


白谷 三島平左衛門蔵
文政10年(1827年)
郡上の下田から白谷へ縁付いたので、今後は貴寺の丹那としてお取り扱いください。
北辰寺より
浄念寺へ

国境改めの事・覚

1ページ


上ヶ瀬 長屋清左衛門蔵
安永3年(1774年)
おぼえ
元和5年(1619年)尾張さまの御領分になってから藤田民部様おいでになって御境目改めをなされた。その節先祖治左衛門に仰せつけられ、境は峰通水境ときめ、証文さし上げました。拙者若党1人持鑓1筋、鉄砲1挺御免 苗字帯刀御免になりました。2代~6代・・・

2ページ


上ヶ瀬 長屋清左衛門蔵
安永3年(1774年)
長屋治左衛門より代官山本十郎右衛門へ

3ページ


上ヶ瀬 長屋清左衛門蔵
安永3年(1774年)
治左衛門の由緒

4ページ


上ヶ瀬 長屋清左衛門蔵
安永3年(1774年)
治左衛門の由緒

5ページ


上ヶ瀬 長屋清左衛門蔵
安永3年(1774年)
御境目について
1.郡上領境
1.美濃越前御国境
1.江戸御蔵所境
1.大垣領境

6ページ


上ヶ瀬 長屋清左衛門蔵
享保21年(1736年)
治左衛門
小久保弥五助様

7ページ


上ヶ瀬 長屋清左衛門蔵
享保21年(1736年)
尾州御領分金森出雲守領分山境
1.峯通り水流境
郡上 内ケ谷 庄屋
弥十郎
与三右衛門
1.美濃越前国境
石佛
1.尾州御領分戸田伊勢守領分 山境
峯通水流れとす

離壇状


上ケ瀬 長屋清左衛門蔵
安永7年(1778年)
離壇状
郡上郡下刈安村浄土真宗乗性寺から武儀郡松谷村の称名寺へ(照明はまちがいです)本覚寺の次男喜内と申す者、そちらの檀徒にしてやってください。

由緒書きの覚

1ページ


上ケ瀬 長屋清左衛門蔵
代官、山本十郎右衛門
由緒書きのおぼえ
本家 長屋治郎右衛門
       ・・・
       ・・・
       ・・・
       ・・・は
苗字名乗り・・・

2ページ


上ケ瀬 長屋清左衛門蔵
代官、山本十郎右衛門
寛永年中のころより田口治郎右衛門家より出、代々長屋苗家名乗り来たりました。

7ページ


上ケ瀬 長屋清左衛門蔵
代官、山本十郎右衛門
亥の11月、山本十郎右衛門に宛てている点でこれは、安永8年(1779)11月に書いたものとみます。

尾州・大垣・幕領の境目の人々の中注意事項


元文元年(1736年)
1.御境目は峯通り、水流れに紛れなし。
2.御境目附近、みだりに道をきりあけないように。
3.御境目近辺で、なぎ畑をしないように。
4.ご法度のまきの皮を盗みはぎとり荷物に似せて運ぶやからが居る。大垣領のものども尾州の御林山を荒さないよう。
板取村長屋治左衛門
同 清左衛門
根尾の市場所源兵衛へ
一柳半兵衛へ

正徳3年から元文元年まで年貢金割引の留め書き

表紙


白谷 三島平左衛門蔵
正徳3年巳の7月より(1713年)
元文元年辰の10月まで(1736年)
夫食定免願の留
正徳3年(1713年)7月夫食願いした節、餓死人の者ども帳面書き出し
右帳面の奥所左の通り

1ページ


白谷 三島平左衛門蔵
正徳3年巳の7月より(1713年)
元文元年辰の10月まで(1736年)
右書き上げ申す者のこと
高1斗、2斗ずつの百姓その他多く無高・・・
うゑに及ぶ者人数647人・・・
お留め山になって山かせぎもならず秋作もあてになりません。

2ページ


白谷 三島平左衛門蔵
正徳3年巳の7月より(1713年)
元文元年辰の10月まで(1736年)
口上のおぼえ
去年から高持無高の者ども、何とか餓死はしませんが、去年から当2月まで
むぎ、ひえ並におかねども都合285両余私どもの才覚で取替えておりますが・・・

3ページ


4ページ


5ページ


6ページ


7ページ


8ページ


9ページ


10ページ


11ページ


12ページ


13ページ


14ページ


15ページ


16ページ


17ページ


18ページ


19ページ


20ページ


21ページ


22ページ


23ページ


24ページ


25ページ


26ページ


27ページ


28ページ


29ページ


30ページ


31ページ


32ページ


33ページ


34ページ


35ページ


36ページ

雲渓院から清泰寺あて嘆願書


上ケ瀬 長屋清左衛門蔵
享保11年(1726年)
おねがいします
杉原雲渓院 美濃市清泰寺へ
私病気のため寺役勤められません。
親類方で静養したい。村の者は納得の上ですのでよろしく・・・

けやきの木の高いこと


安永7年 長屋市蔵文書 50本100両也
おぼえ
1.けやき もとき 50本 代金100両也
内 金20両 手形金 相渡しました
残 金80両 来る11月相渡し申します

1.敷き木 6寸廻し 1本につき 代4匁ずつ
但し 1間2尺以上は もとき並み
2尺以下は 6寸廻し並み

右の通り 相きめました

1778年戌7月
名古屋舟入所
藤井伝兵衛
江戸こおじ町山元町
近藤市郎右衛門

板取村庄屋衆中