仙厓

仙厓<寛延3(1750)-天保8(1837)>

仙厓義梵(せんがいぎぼん)は美濃国武儀郡(現関市武芸川)に井藤甚八の子として生まれました。清泰寺(現美濃市)において僧侶となり、19歳で武蔵国の東輝庵・月船禅慧に師事しました。
月船没後諸国行脚の旅にでて博多へ下り、40歳で博多・聖福寺(栄西禅師を開山として創建された日本最初の禅寺)の住職となり、文化8年(1811)に退任しました。
その後仙厓は、「厓画無法(仙厓の絵画には法がない)」による、軽妙洒脱な禅画を残したことで知られています。
※《仙厓》は、平成17年の市町村合併後、武芸川が生誕の地であることから平成19年度より収集テーマとして加わりました。

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